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ロジェ・デルモット トランペットに捧げた人生

〈アントワンヌ・クルトワ〉のトランペット新製品の開発の設計を手がけた金管楽器製作者 アドリアン・ジャミネ氏が、フランスの著名なトランペット奏者や金管楽器奏者を招いてインタビューするポッドキャスト番組「キュイーヴル・ア・ラ・フランセーズ」(=フランスの金管楽器)。この番組で公開されたフレンチトランペット界の巨匠、ロジェ・デルモット氏の特別インタビューの内容を、アドリアン・ジャミネ氏のご厚意により本サイトにて公開いたします。二部構成の対話の中で、デルモット氏は、幼少期の思い出から、パリ・オペラ座やヴェルサイユ音楽院での経験、さらに教育者としての役割について語っています。デルモット氏の情熱と献身に彩られた人生の記録が、ここに綴られています。
 

第一部:若き日の出発点とキャリアの始まり

 
  デルモットさん、今日はお会いできて光栄です。多くの若い音楽家にとって、あなたは本当に憧れの存在です。最初に、音楽との出会いについてお話しいただけますか?金管楽器の世界にどのようにして足を踏み入れたのでしょうか?
 
デルモット(敬称略) ありがとうございます、アドリアン。私も嬉しいですよ。私とトランペットの物語は、非常に素朴なものから始まっています。私はフランス北部のルーベで育ちました。同世代の多くの若者と同様、私は地域のブラスバンドに惹かれ、音楽と出会いました。この時代、ブラスバンドは地域の様々な場面で活躍し、社会的な役割を担う重要な存在でした。最初は小さなフルートを手にしていたのですが、すぐにフリューゲルホルンを任され、そこから本格的に金管楽器の世界に入りました。ブラスバンドの音楽はシンプルですが、人々の生活に根ざし、喜びと真心に満ちたものでした。
 
  そこからパリ音楽院へ進学し、トランペットを専門にするまでの経緯を教えてください。
 
デルモット フリューゲルホルンとの出会いが音楽への興味を育ててくれました。ルーベではモーリス・ルクレール氏という思いやりに溢れた先生に恵まれました。彼から基礎技術以上のこと、つまり、心から演奏すること、自分自身の最も深い部分で音楽を感じ取ることの重要性を学びました。そのルクレール氏がパリ音楽院を目指すようにと励ましてくれました。パリへの道のりは、地方出身の若者にとっては大冒険でした。音楽院に入ってからは、素晴らしい教育者である教授エウジェーヌ・フォヴォー氏から多くを学びました。彼の要求の高さにより、私は規律や厳格さを身に着け、プロフェッショナルな世界に向けて成長しました。
 
  当時のパリの音楽界は刺激的だったのではないでしょうか。特に印象に残っている出会いはありましたか?
 
デルモット そうですね、パリは才能が集まる場所で、驚くべき人々と交流することができました。その中でも、特に影響を受けたのは、トランペット奏者のレイモン・サバリッシュ氏との出会いです。彼は比類ないトランペット奏者で、人間的にも素晴らしく、私にとって尽きることのないインスピレーションの源でした。
まだ自分に自信を持てなかった頃の話です。ある日、彼が私の肩に手を置いて『ロジェ、思い切って演奏しなさい。世界中の人々があなたの音を聞いているつもりで』と言ってくれたんです。その言葉は、今でも私の心に響き続けています。
 
  第二次世界大戦後、パリ管弦楽団と共にドイツで演奏された経験もお持ちですよね。どのような気持ちで臨まれたのですか?
 
デルモット 感動と苦しさが混ざった強烈なひとときでした。戦争の傷跡が残っていましたが、我々演奏家は自分たちなりのやりかたで平和の使者を務めました。戦時中には敵国だったドイツで、パリのオーケストラがショーソンの《ポエム》やラヴェルの《クープランの墓》を演奏することは、とても象徴的な行為であり、和解と共有の時間をもたらしてくれました。国境を越えても我々は同じ人間同士であることを、音楽が思い出させてくれました。
 
  ジュネーヴ国際音楽コンクールはその厳しい審査基準で知られていますが、参加されたご経験についてお聞かせいただけますか?
 
デルモット ジュネーヴのコンクールは、私のキャリアにおける最も決定的な出来事の一つでした。課題曲は非常に複雑で、トランペットでは前例のないような譜面でした。その要求水準に達するために膨大な練習が必要で、自分に自信を持てずに苦しむこともありました。しかし、この挑戦を通じて忍耐力を学び、次のステップに進むことができたのです。ジュネーヴの後は、自分の声をようやく見つけたような気がして、自信が湧いてきました。
 
  アンドレ・ジョリヴェについてよく言及されていますが、彼は音楽人生においてどのような役割を果たしましたか?
 
デルモット ジョリヴェは特別な作曲家であり、非常に感受性豊かな人物でした。彼の影響は私のキャリアに計り知れないほど大きなものでした。彼の《トランペットとオーケストラのためのコンチェルティーノ》は、私がそれまで知らなかった音楽の次元を探求するきっかけとなりました。彼はクラシック音楽にジャズの要素を取り入れるという希少な才能を持ち、それが新しい色彩をもたらし、私たち演奏者の表現を豊かにしてくれました。彼の作品に取り組むことは、別の世界に足を踏み入れるようなものでした。その世界では音楽が生き生きとした力となり、まるで触れることができるように感じられたのです。
 
  これらの瞬間を振り返ると、最も強く感じる感情は何ですか?
 
デルモット 何よりも感謝の気持ちですね。素晴らしい師匠、同僚、情熱を共有する生徒たちに出会えたのは本当に幸運でした。世代ごとに音楽へのアプローチは異なりますが、それでもトランペットへの愛情が変わることなく受け継がれているのを見るのは本当に美しいことです。
 
ロジェ・デルモット氏
 
 

第二部:オペラ座と教育者としての歩み

 
  第二部ではあなたのパリ・オペラ座での経験について伺いまます。当時、軽やかな音色の楽器が演奏されていたオペラ座にバックのトランペットを導入されましたね。どのような経緯だったのでしょうか。
 
デルモット そうです!あの頃、オペラ座の楽器が徐々に変わりつつありました。ホルンやトロンボーンの音色は徐々に力強いものに変化していました。しかし、トランペットはまだ軽い音色のままでした。そんな中、スイス人の友人ロンジノッティ氏がバックを紹介してくれ、楽器を入手することができました。バックのトランペットを使った初のリハーサルの時は、同僚たちも驚きました。ある同僚が冗談で『オペラでフリューゲルホルンを使うのか?』と言ったほどです。でも、そのまろやかで力強い響きがオペラには合っており、やがて同僚たちもバックの音色に慣れました。
 
  その後、〈アントワンヌ・クルトワ〉との共同開発でフランスのトランペットを改良されたと聞きました。
 
デルモット はい、当時、アメリカ製のトランペットに音質面で対抗するため、〈アントワンヌ・クルトワ〉とピストンの気密性や音程の改善を目指し、多くの研究を行い、技術的な改良を進めました。予算的には限りがあり苦労した点もありましたが、楽器の構造に関する私の知識を深めた技術的な改良を進めました。貴重な経験でした。
 
  ノートルダム大聖堂でのピエール・コシュロー氏との共演も、大切な思い出の一つではないでしょうか?
 
デルモット コシュロー氏は即興の天才でした。彼と演奏すると、まるで別の次元に入り込んだかのような気分になりました。演奏する全ての曲が交響曲になり、私も彼の演奏するオルガンの一部になりました。オルガンの力強さが大聖堂の音響効果と結びつき、神秘的な雰囲気を作りました。ノートルダム大聖堂のような場所で彼と演奏できたことは、私の人生の中で最も印象的な思い出のひとつです。
 
  ヴェルサイユ音楽院での教育者としてのご経験についても教えてください。特にギヨーム・バレイの教本に影響を受けたそうですね。
 
デルモット はい、バレイの教本のおかげで、伝統的なノウハウを若い世代に伝えることができました。技術を教えるだけでなく、楽器へのより直感的で感覚的なアプローチも勧める内容です。私にとって教育とは、音符を超えた音楽の本質を理解するための鍵を生徒たちに渡すことでした。
 
  では、最後に、現在の若いトランペット奏者たちについてどう思われますか?
 
デルモット 今の若いトランペット奏者たちは驚異的です。彼らは自分自身の音楽的なアイデンティティーを保ちながらも、国際的な舞台での高い要求にも適応できます。クレマン・ソニエ、マルク・グジョン、エリック・オビエ、アントワーヌ・キュレ、ダビッド・ゲリエが、このトランペットのヌーベルバーグの良い例です。彼らは我々の世代には不可能だった技術を習得しており、彼らのひとりひとりがフランスのトランペットに独自の色彩を与えています。伝統が進化しながら続いていることを見られるのは、素晴らしいことです。
 
  貴重なお話を本当にありがとうございました。あなたのご経歴と視点を知ることができて大変光栄でした。
 
デルモット こちらこそ、アドリアン。トランペットが才能ある若者たちをこれほど惹きつけ続けていることは、とても嬉しいことです。音楽は、時を超えた芸術です。私の証言が新たな世代の活動に役立つことを願っています。
 
 
アドリアン・ジャミネ氏 プロフィール
金管楽器製作者、AJアトリエ・デ・キュイーヴルの創設者およびC.E.O.。
幼少期からトランペットに親しみ専門的に学ぶ。15歳の時、古道具店で手に入れた金管楽器を実家の地下室で修理し始め、2010年、20歳でフランス初の金管楽器専門の職人として独立。以降、製造や販売で事業を拡大し、2019年にはリヨンに2つ目のアトリエをオープンした。
コロナ禍の中、パリ・オペラ座の元首席トランペット奏者ロジェ・デルモットとの対話が彼に新たなインスピレーションを与え、歴史的なフレンチトランペットの復活に着手。試作した楽器はフランス国立放送フィルに採用され、その成功がきっかけでフランスを中心に世界的な奏者を顧客に抱える人気製作者となる。
また、フランスで異例の人気を集めるトランペット界のスター、イブラヒム・マーロフとのコラボレーションで四分音トランペット「T.O.M.A.」を自身のブランドより発表。さらに、フランスの金管楽器ブランド〈アントワンヌ・クルトワ〉とのコラボレーションで、同ブランドより発売したトランペット”コンフリュアンス“および” T.O.M.A “の設計も手掛けた。
フランス共和国大統領賞受賞(フランス産業博覧会/トランペット“アルフレッド”)、メイド・イン・フランス見本市新星賞、フランス文化省 文化起業家賞、BPIフランス技術賞、その他、バンク・ポピュレール財団やEY財団を含む複数の財団から様々な賞を受賞。
現在、AJアトリエ・デ・キュイーヴルは8名のチームで6種類のトランペットを製造し、多くの名だたる演奏家を魅了し続けている。
 
アドリアン・ジャミネ氏のポッドキャスト番組「Cuivres à la Française」(フランス語)は以下のリンクからお聞きいただけます。
https://podcast.ausha.co/cuivres-a-la-francaise
 
2024年10月にエリゼ宮で開催された第4回フランス産業博覧会にて。(写真右)左からアドリアン・ジャミネ氏、クレマン・ソニエ氏、エマニュアル・マクロン大統領。

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